欧州の想い出 「練る」 -Prologue-
3年近く前の想い出話である。
このブログは自分の備忘録のためでしか存在価値がないのだが、もはや3年も前の記憶となれば備忘録にすらならない。
つまり、何の価値も無い記事なのかもしれない。
今(2021年12月)になって書き始めようと思った大したきっかけもないのだが、ここ2年近くCOVID-19で国外とは大きな隔たりができた。
もっとも、そのことを憂うほどの海外旅行好きでもなければ世界をまたにかけるビジネスマンでもないのだが、それでもこれだけ長く続くと、心のどこかで国外旅行を求める自分がいたりする。ないものねだりってやつだろうか。
これは僕が学生時代に「卒業旅行」と称して友人たちと欧州へ行った時の想い出話である。
想い出というのは自分の記憶の中に佇む人生の1ページであり、これが大抵美化されていたりするものである。
しかし、オチも無ければ展開も退屈な短編小説のような僕の人生の1ページをアウトプットしたところでやっぱり何の価値も無いのだろうが、”想い出話”というのは話している側はそこそこ楽しいものなのだ。
だが、よほどの話術が無い限り想い出話というのは聞いている側は大抵退屈で、とあるテレビ番組で高田純次が「歳をとってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話』と『自慢話』の3つ」と言っていた。
つまるところ、これはアラサーオッサンの独り言である。
当時、不真面目な大学院生活を送っていた僕であったが、卒業旅行を友人たちと画策していた。
行き先は欧州。
不真面目なくせに小癪(こしゃく)な学生であったため、歴史の息づく欧州に決めた…というのは嘘であり、僕は高校時代の歴史の授業が退屈で理系に進学したようなダメ学生だ。
実のところは、車好きの友人同士、車文化の息づく「イギリス」、自動車産業において日本と対をなす「ドイツ」、そして「スイスのジュネーブモーターショー」の”カーエンスージアスト3点セット”を卒業旅行に詰め込もうとしただけである。
特段車に興味の無い友人からしたら、甚だ迷惑な話ではある。
少し前に、『深夜特急』の作者である沢木耕太郎氏の記事を読んだ。
「旅は偶然の出会いに身を委ねよ」とのことである。
確かに今までの旅でも、めぐり合わせとは面白いもので偶然の出会い(人でも風景でも)が思いがけず感動を運んでくれることは多々ある。
僕も綿密に旅の計画を練ることは少ないが、それでも全くの無計画で家を飛び出すことはあまりない。
ましてや国外の見知らぬ土地となれば、ある程度の事前のリサーチは欠かせないと思っている。
根拠も無く”偶然”に期待すると、上手く行かないことのほうが多い。何事も計画は大切なのだ。
『深夜特急』はバックパッカーにとってはバイブル的な本ではあるが、僕の性格上バックパッカーは向いていないしバックパッカーへの憧れも一切無い。
結局は、小癪な学生なのである。
小癪で研究には不真面目でも、趣味には人一倍全力であったダメ学生らしく、友人の所属する研究室のホワイトボードを拝借して何回か旅行の計画検討会が開かれた。2018年11月頃の話である。
士気を高めるためにホワイトボードの上にドイツ国旗を立て…たのではなく、純粋にドイツと交流のある研究をしていたからだそうだ。
イマドキはインターネットで調査から予約まで大半が出来てしまうのが便利とも言えるし、味気ないとも言える。
数千km離れた言語不明の異国を旅するとしても、飛行機はもちろん宿も簡単に予約出来てしまうのだから、国外との隔たりはどんどん低くなっている。
そんなことが当たり前である我々の世代としては、インターネットの無い時代の海外旅行というのはさぞ大変だったのだろうと想像するのだが、結局それは便利な時代を過ごしているから感じることであって、当時はなんとも思わないだろう。
もしかしたら、音声認識技術や機械翻訳技術が進めば言語の壁もなくなるかもしれない。そうなったら、「言葉もわからない人が昔に海外旅行するのはさぞ大変だったのだろうな」と、未来の若者に言われているのだろう。
さて、どうやって計画を練っていたのかはもはやあまり記憶にない。
多分、開催日程が固定されているGeneva International Motor Showと、ニュルブルクリンクが1日空いている日曜日をベースに考えていたのだと思う。
今回は4人で旅することになっていたのだが、旅の途中でスイスでモーターショー組とフランスでパリ観光組に分かれ、最終日前夜にパリで合流、そこから日本に帰国するという旅程を組んだ。
旅程がおおよそ決まれば、宿探しだ。
バックパッカーに向いてなければ憧れも無い僕(ら)は、普通のシティホテルを抑えることとなる。
初日に訪れるのはロンドンとなったのだが、やはり初訪らしく市街を観光したい。となれば近くに宿を抑えるのが定石であり、Hampton by Hilton Waterlooを3泊分予約した。
聞き慣れたHiltonブランドでありながらお安く泊まれるカジュアルホテルで、グローバル展開しているブランドというのは安心感があるものだ。
2ヶ国目はドイツ。
ここではニュルブルクリンクに宿泊することを決めていたが、他はフランクフルトにある、やっぱりHampton by Hilton Frankfurt City Centre Eastを抑えた。そりゃヒルトン一族も大金持ちになるわけである。
残る1泊はケルンに抑えた。Althoff Grandhotel Schloss Bensbergという、お城にしか見えない豪華なホテルである。「せっかくの卒業旅行だし」を合言葉に予約したのだが、学生旅行にはアンマッチなホテルであることには違いない。
ところで、意気揚々とニュルブルクリンクを走ろうと宿を押さえたのだが、ニュルブルクリンクは3月まで冬季閉鎖であることに気付いたのは出発の1ヶ月前の話だ。
何事も計画は大切だが、時には失敗もつきものである。
問題は3ヶ国目のスイスである。
スイスは世界一の高物価国であり、それは日本の約2倍と言っても過言ではないだろう。そうなればホテルの宿泊代も当然高くなる。
我々が向かうのはジュネーヴであるが、ジュネーヴはレマン湖に流れ込むローヌ川を堺に新市街と旧市街と分かれている。
旧市街には歴史的な名だたる時計メーカーのメゾンが建ち並び、それはそれは荘厳な風景であるが、一方の新市街はいわゆる繁華街であり、積極的には歩きたくない街である。
とはいえ旧市街のホテルはただでさえ高級ホテルが建ち並び、それに加えてスイスの物価が襲いかかり、「せっかくの卒業旅行だし」という合言葉も効かないほどの価格である。
というわけで必然的に新市街にある、なるべく駅チカのホテルを抑えた。それでも、素泊まりなのに軽く1万円を越えていたのだが…
「偶然の出会い」に期待する無計画な旅というのも好きなわけだが、友人たちと旅行の計画を練るというのも、また一興である。
(続く)