大雪の北陸旅行 4日目
4日目、最終日です。
宿で朝食をいただき、急用のため先に帰らねばならなくなった母親を城崎温泉駅まで送迎した。
今日はもともと帰る予定なので、これといって予定は無かった。
とはいえ、天気は相変わらず雨。
大雪でないだけマシとも言えるが、雨は雨で濡れるのでたちが悪い。
天気が良ければ宿の目の前にある城崎ロープウェイに行こうと思ってたのだが、あいにくの天気で上ったところで真っ白な世界が広がっていることは目に見えていた。
ならば、湯に浸かるのが最善の選択肢。
ということで、宿から歩いて数分の御所の湯に来た。
こちらも昨日の鴻の湯に続いて、かなり広々とした露天風呂があり、最高だった。
あえて露天風呂があるところを選んでいるのもあるのだが、それにしてもここまで広々とした露天風呂がある公衆浴場は珍しい。
おまけに人もほとんどおらず、貸し切り状態だった。
今日はこれで満足だな。
多少雨も弱まってはいたので、城崎温泉の街歩きをした。
確かに歴史のある温泉街にはたくさん店があり、叙情的な風景だった。
関西に住んだことは無いが、大阪や神戸といった都市からアクセスもしやすい温泉街であることから、東で言うところの箱根?草津?あたりのような位置づけなのだろうか。
その後は天気も相変わらずなので、城崎文芸館を訪れた。
城崎温泉は開湯1300年の歴史を持ち、平安時代から歌に詠まれたそうだ。
そして恐らく最も有名なのは、小説家 志賀直哉が書いた『城の崎にて』
志賀直哉が湯治のため城崎温泉を初めて訪れたのが1913年だそうで、滞在中の出来事を書いた作品だ。
今でも志賀作品を代表する短編として多くの人に読み継がれている。
そんな背景も含め、多くの文人が訪れたことから、城崎温泉は「歴史と文学といで湯の街」として知られるようになったそうだ。
館内には昔の城崎温泉の写真も飾られていた。
だいぶ姿は変わったものの、ところどころに面影を残していることがわかった。
私は文人墨客ではないので何も詩文や書画にすることは出来ない・・・いや、私も湯治と称して3週間程度滞在すれば、作品の一つや二つなら出版出来るかもしれない。
私も湯治が必要になったら、城崎温泉に来てみようと思った。
とはいえ、残念ながら凡人である私は筆ではなく玉子を手に、温泉玉子をつくることにした。
昨日泊まった宿で引換券をもらったので、温泉玉子づくりをすることにした。
温泉玉子はイイ感じにできて、とても美味しかった。
私もここで「死」について考察し筆を握っていれば文人になれたのかもしれないが、残念ながら「温泉玉子は美味しい」という以上の感想は生まれなかった。
その後はネタも尽きてしまい、城崎温泉を離れてすぐ近くにある城崎マリンワールドへ行き、父親と2人で子どもに混ざってイルカショーやペンギンの散歩を見ていた。
水族館自体は結構な値段もするのだが、海沿いにあって敷地も広く、展示も工夫されており見応えのある、評判通りの水族館だった。
そうこうしているうちに良い時間になったので、豊岡にレンタカーを返却し、但馬空港まで送迎してもらいました。
車でしかアクセスできない上にとても小さな空港で、大阪と往復する便が1日わずか2便しかありません。
それでも、大阪国際空港を経由することから羽田、もしくはその他地域からのアクセスがしやすいという点に価値を見出しているそうです。
ちなみに、伊丹→但馬はおおよそ40分くらいです。
夕方になる頃には少しばかり晴れ間も見え、小さく静かな空港で搭乗機の到着を待っていました。
伊丹を出発したためFlightradorで見ていると・・・
あっ・・・(死亡)
但馬空港は日本海側かつ山間部にあるため、視界不良による欠航が多く、冬期の就航率は80%程度まで下がります。
実は今朝の1便の様子も確認していたのですが、1便は問題なく着陸出来たことから2便も問題ないだろうと甘く見ていました。。。
はい、欠航〜〜〜
バス護送の刑が執行されました。
欠航はよくあることなので、素早く配車され、大阪まで1人3,000円。
といっても、バスで大阪まで行っても2〜2.5時間程度。なら別に空港いらないんじゃ…
バスは順調に飛ばし、結局2時間程度で到着し、新大阪駅で下車しました。
そしてバスの車内で予約したスーパーホテルにチェックインし、やよい軒で夕食。
特に要らないおまけの1泊が発生しました。
翌日は特に大阪は観光することもないので、そのまま東海道新幹線で帰路に就きました。
大雪で大変でしたが、素晴らしい海の幸と温泉に浸ることが出来たので、思い出に残る旅行でした。
(終)