北海道ツーリング2024 5日目

川湯温泉の朝。

朝日の差し込む半露天風呂にのんびりと浸かり、朝食に欣喜湯の特製カレーをいただく。
今日も青空が広がっており、気持ちの良い朝の川湯温泉ウォーキングへと出る。

川湯温泉はいま、環境省が推進するプロジェクトの下で「川湯温泉街づくりマスタープラン」を策定し、大規模な再整備事業が進行している。

私が大好きな川湯温泉が変わってしまうのは残念だが、川湯温泉街には廃ホテルが多く、お世辞にも活気があるとは言えない。このままでは街の存続自体も危ぶまれるのも直視すべき現実である。
それ故、大規模に再整備されるというのは放置され消えゆくよりは、ずっとポジティブなことと言えるだろう。
どうか、昨今の流行に流された一時的な”映え”だけを意識した持続性と個性の欠けた街にだけはならないことを切に願う…。

1958年の開業以来ずっと営業を続けていた川湯温泉の公衆浴場も2022年10月に閉業し、クラウドファンディング等も通じてリニューアルが行われた。
そして6日前の2024年9月12日、無事に開業となった様子。
残念ながら営業時間的に入浴は叶わなかったものの、これもまた明るいニュースの一つだろう。

川湯温泉街も、数年前に訪れた頃から比べると随分と廃ホテルの解体も進み、更地が増えている様子だった。
また、湯川周辺の遊歩道の整備も進み、綺麗になっている。
静かで観光地然としていない今の川湯温泉が好きな自分にとっては複雑な想いもあるものの、外から入ってきた事業者ではなく、これまでの川湯温泉を守ってきた人たちが幸せになる再整備事業になって欲しい。

川湯温泉を後にし、摩周湖 第三展望台へと向かうことにした。
d52は比較的タイトなワインディングロードだ。

美しい青と緑のコントラスト。
摩周湖は何度も訪れているのだが、何度訪れてもその美しさには感動する。

外輪山に囲まれ、世界2位の透明度を誇る摩周湖。
中央にある島は「カムイシュ島(神の島)」、摩周岳は「カムイヌプリ(神の山)」と名付けられている。
現代日本語では「神」という表現は完璧なものの総称として頻繁に使われるようになったが、アイヌ人もこの景色には「神」と名づける他なかったのだろう。

摩周湖第三展望台では、大きなウイングの生えたZ34に乗る旭川在住の方に声をかけていただいた。
聞くところによるとZ34で車中泊もしているらしく、なかなかタフなドライブをしているようだ。私もかつてZ33に乗っていたが、とてもじゃないが仮眠以外する気は起きない(汗)
いつかは日本一周をしようと目論んでいるそうで、モーターレース観戦にも興味があるとのことで情報交換をさせていただいた。
旅の楽しい出会いの一つとなった。

摩周湖からは南下し、弟子屈の町を抜け、初めて訪れる9○○草原へと向かった。

9○○草原は900ha以上の面積がある草原ということで、”キューマルマル草原”と名付けられているそう。(900草原、ではないらしい。多分)
決して標高は高くないものの、 広大な草原と遥か先まで広がる大地の風景は爽快。
そして先ほどまでいた、摩周岳や硫黄山、藻琴山、阿寒岳などの山々も望むことができる。

さて、ここで本日の宿を抑える。
昨晩目星をつけていた宿は残念ながら撃沈したため、釧路のホテルを抑えた。しかし、宿が全般的に高くなったものだ…泣

何はともあれ今晩の寝床は確保したので、続いては多和平。

こちらも有名ながら初訪問。
草原がなだらかに続く丘陵で、キャンプ場にもなっているらしい。
時刻はちょうど昼頃だが、数張のテントが残っていた。これだけ広ければ混雑することも少なそう。

小さな展望台を登るだけで、これまた360度地平線が見渡せる大パノラマ。
北海道はどこへ行っても素晴らしいが、やはり道東の風景は中でも突出していて大好きなのだ。

多和平には売店があったので、そこでお土産を少々と、しべちゃ牛乳を購入。
美しい草原を眺めながらいただく牛乳が格別なのは、言うまでもない。

ツーリングと言いつつあまりにものんびりとしていてほとんど走っていないが、まぁこんな日もあって良いのだ。

多和平からはR391で標茶まで、d14→d813→d807へと繋いでMGロードへ。

ここは霧多布湿原の中を縦断する約2kmほどの道。両側には湿原が広がっている。

そしてそのまま、霧多布岬へ。

正式名称は濤沸岬という。

ここも大好きな岬の一つ。
小さく突き出した半島の先に向かって歩けば、赤白の灯台が出迎えてくれる。
そしてさらにその先へ・・・小さな碑が立っているだけの岬の先端に立てば、そこには太平洋の波の音だけが響く孤独な瞬間。

ここで流れる時間が好きで、何度も惹かれるように訪れているのだろう。

宿は釧路に抑えたので、このまま霧多布岬からはd123北太平洋シーサイドラインで西進する。

琵琶瀬展望台へと立ち寄った。

生活空間のすぐ隣には、広大な霧多布湿原が広がっている。
本州では決して見られない風景が、ここでは当たり前の日常。
道東の風景は唯一無二であり、改めてその美しい自然に魅了された。

さらに西進し、続いて涙岬へ。

誰もいない駐車場に入ると、一匹のキタキツネがいた。そうか、もう夕暮れが近い。

涙岬は駐車場から10分ほど海に向かって歩く。

誰一人いない、夕暮れ時の草原を孤独に歩き続けた。

しばらく歩けば、険しい断崖に立つ先端が見えてくる。

それにしても、なぜ「涙岬」なんて悲しげな名前を付けたのだろう?

その答えは、鰊漁が盛んだった昔に、ある嵐の日に海にのまれた厚岸の若者と、その若者に恋する霧多布の網元の娘がこの断崖に立って泣きながら、若者の名前を呼び続けていた物語に由来するそうだ。
そしてこの断崖の岩が荒波に向かって泣く乙女の横顔に見えることから、「乙女の涙」とも呼ばれているらしい。

もちろん言い伝えに過ぎないだろうし、正直僕にはこの岩はどうにも泣く乙女には見えないのだが、時折冷たい風が吹く夕刻時に断崖に一人佇んでいると、その悲しげな物語と涙岬という名前はあまりにも今の瞬間にドンピシャだった。

涙岬を離れ、d123で一気に厚岸まで走る。
日没まではまだ時間があるが、雲が広がってきたこともあり動物の気配を感じるので、スロットルは控えめに気持ちの良い曲率のワインディングロードを楽しむこととした。

そして道の駅 厚岸グルメパークへ。

ここへ来たからにはもちろん・・・

牡蠣!

厚岸は日本でも有数の牡蠣の産地。
そもそも”厚岸”という地名自体、”アッケケシ(牡蠣の多い所)”というアイヌ語が由来になっているそうだ。
1年を通じて水温が低い厚岸では、1年を通じて生牡蠣を食べることができるのも特徴。

自然の恵みに感謝し、大満足の昼食?夕食?となった。

そして外へ出れば、そこには西陽が差し込み、街はオレンジ色に染まっていた。
1日の中で最も美しい時間である。

車を走らせ、望洋台へと車を停めた。
自然が織りなす天体ショーの鑑賞だ。

午後には雲が広がりがちだったが、フクザツな雲が夕日に照らされ輝いていた。
偶然見られた記憶に残る風景だった。

R44とE44を併用し、マジックアワーの中を釧路へと向かった。

宿へ車を置きチェックインしたら、釧路の街を歩く。

釧路川は満月に照らされ川面が輝き、幣舞橋は様々な色にライトアップされていた。

停泊中の漁船はサンマ漁船らしく、使い方が想像もつかない装置がたくさん付いている。
サンマ漁は夜中から明け方にかけて行われるそうで、サーチライトを使って群れを探すらしい。

釧路の夜は少し肌寒かったが、暖かい光に包まれていた。

(続く)