酷暑の九州ツーリング 2021 5日目
さて、九州ツーリングも5日目。
晴れているのは有り難い一方、相変わらずの暑さでホテルの隣では公害レベルの音量でセミが鳴いていた…
もともと今日は天草・上島に向かって走り、熊本市街へと向かう事を考えていたのだが、天草・上島は昨日のうちに天草オレンジラインを走ることが出来たので地味に満足していた。
ということで、当初考えていた予定を変更し、下島を牛深まで走り、そこからフェリーで長島へ渡ることにした。
宿を出発してまずはr47で天草空港の横を通り抜け、道の駅 天草市イルカセンターへ。
道の駅で朝食でもと思ったが、生憎営業は11時から。
かなり美味しそうな海の幸が並んでいたので、イルカウォッチングツアーでも行くか!?とも思ったが、そんな時間も無いことは明白なので後ろ髪を引かれつつ後にした。
朝食を諦め、海岸線を行くR389を反時計回りに走り出す。
昨日は天草市街に近いこともあり「結構交通量のある賑やかな島だなぁ」と感じていたが、西岸に来ると一気に交通量も減り、気持ちの良いシーサイドランが味わえる。
さらにシーサイドワインディングを求めて西平椿公園に向かおうと、高浜港からアプローチを試みたところ・・・
・・・え(泣)
残念無念。ここは走ろうと考えていたので、出鼻を挫かれた。
逆にと言うべきか、ここで牛深からのフェリーの時間を調べてみると次が12:00発。
今から最短で向かってフェリーターミナルで朝食を食べるとちょうど良いのでは?と思い、下島をのんびり巡ることはやめて一気に牛深へ向かうことにした。
R389からR266で向かうのだが、メインの道とはいえ交通量も少なく良い感じ。
本当は下島も見どころがたくさんあるのでもっと時間をかけるべきなのだが・・・
11時頃に牛深フェリーターミナルへと到着。出港まではあと1時間ある。
そしてなんと言っても、今回乗る三和フェリーは「御船印めぐりプロジェクト」に参加しているため、ここで御船印帳と御船印をゲット!!!
しかもさらに、三和フェリーの御船印は今日(7月21日)から販売開始だったので、恐らく三和フェリーの御船印を購入したのはボクが初めてだろう。その証拠に、窓口の方がダンボールの封を切って開封していた。良いタイミングだ!
が一方、残念なことに11時からやっているはずのレストランが準備中(泣)
ここを目指してきたのでさすがに空腹なのだが・・・
と思っていたところ、フェリーターミナルの海側に小さな喫茶店を発見。
「喫茶 ハイヤ」という小さな喫茶店なのだが、メニューを見ると軽食もあるので十分。
店内を覗いてみると、カウンターが10席ほどの小さな店内におばあさんが1人で営んでおり、お客さんは親子が一組。
なんだか良さそうな気がしたので入店し、目玉焼き定食を頼んだ。
目の前で目玉焼きを焼いてくれて、着々と定食が完成し到着。
道の駅天草に寄ってから豪華に海鮮を食べる気満々でいたのだが、今となってはすっかりその気もなくなり、目の前の素朴な定食に心惹かれていた。
もう一組の親子のお客さんは店員のおばあさんとは親戚のようだ。
箸袋が綺麗に折りたたまれているところもなんだか愛情を感じ、思わず財布にしまい込んだ。
小さな店でフェリーの待ち時間に食べるなんてことのない目玉焼き定食なのだが、こういうお店での体験が案外忘れられない旅の思い出となって、記憶の中に残り続けるものなのだ。
カウンターで近いこともあり感染には気をつけ静かに平らげ、お礼を述べて素敵なひとときを終え、乗船を待つ車に戻った。
12:00。
定刻の30秒前に乗り込んでくる車がいるのには驚いたが、出航。
日陰のデッキにあるベンチに座っていると潮風が涼しく、とても心地よい気分に浸っていた。
30分の乗船を終え、長島の蔵之元港へ到着。
R389で南下し「道の駅 長島ポテトハウス」へ立ち寄った。
そうか、オリンピックの開幕が近いんだな…
道の駅は下船した客でやや混み合っていたので、すぐに立ち去った。
次に立ち寄ったのは「長崎鼻公園」
海辺に建つフォトジェニックな白い灯台が印象的だ。
遠くに見えるのは甑島列島(こしきしまれっとう)の上甑島(かみこしきしま)
直線距離で約35kmほどだろうか。
さて、ここからは内陸の旅だ。
長島を走り終え、南九州道の無料区間で出水市をパスしてR447で東進。
途中黄金ロードという道に抜けて向かったのは「曽木発電所遺構」
曽木発電所は、明治42年(1909年)に牛尾大口金山の電源供給のために建造された水力発電所の遺構。
現在のチッソ株式会社や旭化成工業の設立者である野口遵によって設立された曽木電気株式会社の第二発電所として建設されたそうで、ここから少し上流にある曽木の滝の落差を利用した水力発電を行っていた。
明治時代の堅牢な建築技術を感じさせる特徴的なレンガ造りの建物は、昭和40年に下流に鶴田ダムが完成したことによって水没したのだが、渇水期の5月〜9月にかけてその姿を現し、その特異な風景が人々を魅了していた。
しかし、2021年7月10日。
ちょうど私が訪れる10日ほど前だが、豪雨の影響で築112年を以って機械室部分が完全に倒壊してしまったのだ・・・
形あるものはいつか消える。当然のことではあるのだが寂しさがあるのも事実。
しかも年の半分は水中という厳しい環境にあるわけだから、いくら堅牢なレンガ造りと言っても限界だ。
それ故、すでに倒壊を防ぐための保存工事もされていたらしいのだが、今回の豪雨では耐えられなかったのだろう。
今後の対応については検討が行われるらしい。
曽木発電所のすぐ近くには曽木の滝がある。
こちらは”東洋のナイアガラ”と呼ばれているらしく、まあ本物のナイアガラの滝を見たことは無いが確かに迫力満点。
しかしこちらも豪雨の爪痕が。
本来ならばもう少し良い写真撮影スポットがあるのだろうが、それらの展望台は完全に破壊され、流されたゴミが引っかかっていた・・・
水は数m下を流れているわけだが、先日の豪雨ではここの展望台が水没するほどの水量だったことが推察される。
いやはや、自然の力とは凄まじいものがある。
こちらもきっと復旧までには時間を要することだろう。
そんなわけで展望台が閉鎖され大した見どころも無く終わってしまったので、意外にも本旅初となるソフトクリームをいただいた。
その後は伊佐市からR267を人吉市方面に向かって走り、途中でr408へ入る。
途中通行止めにも遭いつつ狭い道を進んだ先にあるのは「大畑駅(おこばえき)」
駅舎の中には大量の名刺が。
北海道でも見たが、どうして名刺を貼るのかはよくわからない・・・
さて、大畑駅は1909年に開業し、日本三大車窓の一つである肥薩線の駅。
何が珍しいって、下の地図を見ていただければわかる通り、日本で唯一”スイッチバック”と”ループ線”を併用した駅なのだ。
人吉駅〜大畑駅〜矢岳駅間は標高差が430mもあり”矢岳越え”とも呼ばれている難所で、勾配に弱い鉄道ゆえに、ここに線路を通すのには相当な苦労があったことが伺える。
事実、人吉駅から大畑駅までのわずか1駅で、当時の蒸気機関車(D51)は約1トンの石炭を消化し、250L/min.の水を供給していたらしい…
そのため、ここ大畑駅には民家の気配は感じないが、信号所や給水所としての役割を果たしていたそうだ。
その証拠に今でも当時使われていた給水塔などが残されている。
しかし悲しくも、2020年7月の豪雨の影響により、肥薩線は八代〜吉松間で当面の間運転を見合わせており、復旧の目途は今も立っていない。
肥薩線はかつて、観光列車である『SL人吉』や『いさぶろう・しんぺい号』が運行されており、見どころの多いルートだけに復旧を祈りたい。
さて、その後はr408を南下してえびの市へ抜けることとする。
が、このr408、なかなかの曲者。
車線幅は1.0〜1.8車線幅くらいなのだが、ほとんど民家もない上に途中のエスケープルートも存在せず、勾配と急カーブの連続のために見通しも悪く、なんとなく路面のゴミも多い。
まあそれだけならまだしも、完全1.0車線区間で10トンダンプが3台も連なって来た時は”詰んだ”と思いました…(汗)
左ハンドルの恩恵をあずかり、なんとか事なきを得たのだった…(疲)
狭路と左ハンドル、相性がなかなか良い。
そんなわけでなぜか写真が1枚もないのだが、続いて大畑駅の隣の矢岳駅を訪れた。
隣駅というとすぐ着きそうなものだが、道の険しさ故に大畑駅から矢岳駅まで車で30分以上かかっている(汗)
ここも当然、大畑駅同様に運休区間のため、線路には雑草が生え、線路は錆びついていた。
そして矢岳駅にはもう一つ、SLが保管されているSL展示館がある。
保管されているのはD51 170。
ところで隣にも線路が敷かれているが車両は無く空っぽで「?」だったのだが、どうやらかつては58654が展示されていたらしい。
そしてその58654は、ご存知今も現役で乗客を乗せて走っているSL人吉だ!
縁もゆかりも無い土地の話ではあるのだが、なんだか感慨深い・・・
このD51もなんとか復活しないものだろうか?などと、勝手な想いがどこからかわき出てくる。
さ、旅を続ける。
r408もあと残すところ1/3くらいだろうか?
r408はなんだかタフではあるが、ある意味九州の山深さというか、山岳超えを象徴するような道でもあるのかもしれないな。
それにしても、車で走ってもなかなか険しい山道を、よく先人は鉄路を通したもんだ。
それに、こんな山奥に駅を作った理由はなんなんだろうか?かつては集落があったのか?
まあいい、今日は霧島にある温泉宿を2食付きで予約した。
残りをさくっと走って今日は早々に温泉に浸かっ
「え゛・・・(滝汗)」
目の前に立ちはだかる看板には、確かに「通行止」と日本語で記載されており、それは「通行出来ない」ことを意味している。
いや待て、、、先述の通りこのr408は途中にエスケープルートも無いから、ここが通行止めとなると1時間以上かけて大畑駅まで戻るしかないのか!?
とりあえず車から降りて落ち着いて崩落現場を見てみる。
路面が崩落しているのは一目瞭然なので、諦めて戻るしかないのかぁ…
なんて思いつつ車に戻ると、ボクスターの後ろに1台の軽トラがくっついて、車内の黒く焼けたおじさんが窓から腕を出して待っている。
僕「ここ、通れないんですよねぇ?」
軽トラのおじさん「いやいける(キッパリ」
僕「え…(汗)」
軽「俺が先に通ってやろうか?」
僕「じゃあ、、、お願いします(汗)」
というわけで道を譲り、軽トラのおじさんは残された1台分の道をあっさりと軽々と抜けていった。
が、冷静に考えて、いくら現代基準では軽量なスポーツカーといえど、軽トラと比べたら500kg近く重いであろうボクスターで通って大丈夫か…?
いや、たしかに見たところ地盤は1台分以上は残されている。よほどのことが無ければ大丈夫かもしれない…
ということで覚悟を決めて渡った・・・
まあ、結果的には当然なんともなく無事に渡れたのだが、明らかに本ツーリングの中では(というか過去のツーリングを含めても)最もハラハラしたチャレンジングな瞬間であったことは確かだ(滝汗)
とは言え今回の場合、ここを何度も通っている軽トラのおじさんとの遭遇、そしておじさんはボクが無事に渡るのを確認するまで待っててくれていたので、最悪何かあっても助かるだろうということもあり渡ることにしたので、1人なら引き返していたと思う。
いやいや、本当に助かった。。。
おじさんは封鎖されていたパイロンを正しい位置に戻してくれ、まさに救世主であるおじさんにお礼を述べた。
聞いたところ、どうやらここも2021年7月10日の豪雨によって崩落してしまったらしい。
ここ最近のところ、九州は自然災害の多さに心配になる一方だが、改めてその爪痕を”身を以て”感じるのであった・・・
ここからはどっと疲れてしまい、コンビニでひと休憩を挟んでからR268を栗野まで南下し、霧島方面へと向かう。
霧島連峰は雲に覆われ、下界とはまるで違う涼しさであった。
本日の宿は霧島にある「さくらさくら温泉」
ここは霧島温泉からは離れたところにあるのだが、弱酸性の硫黄泉でなんと言っても天然泥湯が楽しめるらしい。
事実、露天風呂には天然の泥が置かれており、泥パックを楽しんだ。
夕食はさつま鍋。
いつも通り最も安いプランだが、出汁の効いた鍋でいただく黒豚と薩摩地鶏は大変美味しい。
そしてコレ。
きびなごの刺し身である。
これを食べられるとは思っていなかったが、個人的になぜかこれを食べると、なんとなく鹿児島に来た感がするのだ。
ハプニングもありつつ疲れた1日ではあったが、結果的には大変満足な1日でもあった。
走行距離:268km
6日目へ続く。